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残留日本人問題と太原~牛駝塞の解放記念館を訪れて~

じゃいたんの太原レポ第3回目は「牛駝塞の解放記念館編」です。私も帰国後に知ったことなのですが、第二次大戦後の国共内戦時に国民党側として日本人が戦っていたそうです。今回は太原解放記念館に行くきっかけと山西省太原における残留日本人問題の背景について迫ります。様々な資料を調べ、個人的に考察したつもりですが、もし間違っている記述等見つけて頂けた場合はお問い合わせフォームにご連絡いただけると幸いです。

解放記念館に行くきっかけ

太原解放記念館に行くきっかけとなったのは、私が太原に関する戦跡を調べていた際に偶然見つけた「蟻の兵隊」というDVDの中で特集されていたためです。

蟻の兵隊 [DVD]

蟻の兵隊 [DVD]

 

このDVDの中で奥村さんが「牛駝塞の死闘」を語っていた場所が、まさしく解放記念館の付近にありました。

 

このDVDで特集されていたのは、日中戦争が集結した後にも軍上層部の命令によって太原市内に残り、当時の国民党側軍閥「閻錫山(えんしゃくざん)」という将軍のもと戦闘に参加せざるを得なくなってしまった奥村さんに迫るドキュメンタリー映画でした。

戦後、国に恩給請求裁判を起こしましたが敗訴してしまったというものです。

 

国側の立場としては現地で除隊したと主張していますが、蟻の兵隊の中で取り上げられた奥村和一さんらは終戦後も旧日本軍の軍規の下で戦っていたと主張していました。

 

以上をまとめると、ポイントは以下の通りになります。

  1. 終戦後も旧日本軍として山西省に残り戦っていた
  2. 志願して残ったとする軍上層部の主張と終戦後も強制的に残らされたという奥村さんらの主張の2つが存在する
  3. そもそも日本ではあまり知られていない問題である

次に「位置関係」について把握しておきましょう。

牛駝塞の位置

大まかに言ってしまえば「太原の北側」に位置しています。 空の玄関口「武宿空港」から行くルートを載せておきます。

 

f:id:ms2015:20190412175223j:imageバスで行くことも可能ですが、地元の人曰く「バス停からも結構歩く」とのこと。今回は自分の知り合いの白タクの人にお願いして連れて行ってもらいましたが、安全面からして、よほど信頼できる人でなければ乗らないほうが良いです。

 

まとめ

今回は第3回目太原レポとして「太原解放記念館」について書きました。次回は中の様子について迫ります。ご意見・ご感想等ありましたら、お問い合わせフォームから送って頂けると嬉しいです。