トラブルメーカーじゃいたんの雑記ブログ

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じゃいたんの中国・太原レポ~旅の目的編~

中国留学から帰国して約半年がたちました。今回は日本に来ている友人が里帰りをすることから、私も里帰りをしてきました。留学中には持てなかった視点から太原をレポートします。

 

 

今回の旅の目的

今回の旅の目的は大きく3つでした。

  1. 留学中にお世話になった人に会う
  2. 太原についてのネタ探し
  3. 山西省と日本の関係を知る

実は旅行前には明確な目的を立ててはいませんでした。こうやって執筆しているうちに自然とこんな目的を持って行動していたなと改めて考えています。

 特に強調したいのは3つ目。自分も帰国後に知ったのですが、第2次世界大戦が終わったにも関わらず、終戦を知らされないまま国民党系軍閥の下で共産党軍と戦い命を落としていった人がいました。蟻の兵隊」というドキュメンタリー映画で紹介されているので、興味のある方はご覧ください。

留学中にお世話になった人に会う

留学していると様々な友人ができると思います。しかし留学が終わって帰国してからというものの疎遠になることもしばしばあると思います。私も例外になく帰国してからというもの、あまり連絡をする機会が無かったので直接会ってきました。実際にあったのは以下の6人でした。

  1. 親友だったルームメイトのフランス人
  2. いつも一緒に行動していたチェコ
  3. 年下ながらしっかりしていたロシア人
  4. 風邪をひいたときに助けてくれたウズベキスタン
  5. 留学中にお世話になった寮の先生
  6. 授業でお世話になった先生



余談ですが、去年まで無かった一帯一路の看板が増えていました。

中国と太原についてのネタ探し

2つ目は単純明快。当ブログのネタ探しです。留学している際にやれば良かったのですが、ブログを書くよりも目前に迫った就職活動に向けて準備していたため、全く眼中にありませんでした。当時の写真も一応ありますが、今後ブログで太原のことを紹介するにあたり新しい情報を仕入れないといけないと思い行ってきました。当サイトは旅行のまとめサイトではないので(私の写真の技術がへたくそなので)きれいな写真ではありませんが、面白いこと・ものや見どころを紹介できればと思っています。



こんな感じの写真を紹介していけたらと考えています。

山西省と日本の歴史を知る

 3つ目はセンシティブな話題「戦争」です。留学中には知らなかったことですが、第二次世界大戦終結終戦の事実を知らず置き去りにされ、現地の国民党系軍閥に組み込まれてしまい国共内戦を戦ったという日本人がいました。俗にいう「中国山西省残留問題」です。

中国山西省残留問題とは

大まかにこの問題を説明すると終戦後も望まない軍の命令で現地にとどまり戦闘を継続していた」というものです。Wikiによると以下のように説明がされていました。

中国山西省日本軍残留問題(ちゅうごくさんせいしょうにほんぐんざんりゅうもんだい)は、日中戦争終結後、中華民国山西省にあった日本軍と在留日本人が戦争終結の帰国命令に従うことなく現地にとどまり、そのうち約2600人が中国国民党軍の閻錫山(えんしゃくざん)が指揮する軍隊へ編入され、終戦後も4年間にわたり戦闘員として中国共産党軍と戦った問題である。2006年にこの問題を扱った映画『蟻の兵隊』が公開されたことにより、事件の存在がひろく知られるようになった。

出典:Wikipedia「中国山西省日本軍残留問題」より

 

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太原解放記念館です。大きな慰霊碑がありました。

また、帰国後に蟻の兵隊の主人公である「奥村和一さん」が実際に訪れた牛駝寨(ぎゅうださい)にある「太原解放記念館」に行き実際に何があるのか見たいと思いました。

私は基本的には戦争に反対の立場です。また過去に起こってしまったことについてはきちんと向き合う必要があると思っています。正しい・正しくない・実際にあった・無いということは一旦脇に置いておいて、まずは何があったのかを自分自身の目で見て理解したいと思っています。

 

 

まとめ

今回はじゃいたんの太原レポートの第1弾「旅行の目的」について書きました。今回の目的は「お世話になった人に会いに行く」「太原の魅力を発信する」「山西省と日本の歴史を知る」でした。今後複数回に分けてこれらのことについて記事にしたいと思っています。